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このページでは、アンリ・サルヴァドールのレコードを私のコレクションを交えてご紹介します。 ご承知のようにアンリの活動歴は非常に長く、総吹き込み曲数は約2500曲とも言われます。もちろん、そのすべてをコンプリートにコレクションすることは極めて困難で不可能といえますが、現在はCDによる復刻やコンパイルも各レコード会社で進んでおり、かなりのソースが明らかになっています。 また、制作単位がSP〜EP〜シングル〜アルバムと変遷しており、特に50年代後半から70年にかけてはEPが中心的な制作フォーマットであり、当サイトではそのEPを中心にコレクションを進めています。そういうわけで、EPに関してのみコンプリート・リストを作成しました。CD収録曲がある場合、代表的なCDのタイトルと番号も記載してありますので、ガイドとして活用いただければ幸いです。 CDでの入手が不可能な曲に関しては、作者高橋までお問い合わせください。 |
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| 日本盤最新アルバム「愛しい君との愛しい時間」東芝EMIVJCP68582 | ||||
| COMPLETED !! | ||||
| COMPLETED !! | ||||
| (Sorry! still working!) | ||||
| (Sorry! still working!) | ||||
| (Sorry! still working!) | ||||
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| 1955年頃ヴィニール・レコードが流通し始め、それまでの78回転シェラック・レコードでは制約があった演奏曲数や時間が、遅い回転数でも高音質再生画可能となったため、劇的に拡大されました。しかしフランスでは、ポピュラー音楽に於いてはLP盤はまだ一般的ではなかったようで、制作の中心は45回転(標準)4トラック収録の"Super 45 tours"などと呼ばれたEP(Extended Play)盤でした。
アンリ・サルヴァドールも例外ではなく、リリースはEPがメインでいわゆる「シングル」はジューク・ボックス用として、後からカットされたようです。一方、LPの制作は、二〜三枚のEPから曲をコンパイルした、「ベスト盤」的要素が濃く、アルバム単位での制作は少なかった様です。 ここでは、アンリ・サルヴァドールのEPを年代順に掲載します。最初にお断りをしておきますが、掲載されているレコードはオリジナルとして制作されたものです。再発ものや旧譜からのコンピレーションは除外してありますので、ご了承ください。 各タイトルをクリックすると、写真付きのレビューを見ることができます。 |
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フィリップスには1952年から57年まで在籍しました。それ以前に在籍していたポリドールの頃は、所属していたレイ・ヴァンチュラ楽団との吹き込みや、ギターの弾き語りが多く、サウンド・クォリティもそれほど高くはありませんでしたが、フィリップスに移籍してからは、ミシェル・ルグランやアンドレ・ポップといった才能溢れる若手音楽家を積極的に起用し、楽曲的にもかなりセンスが良くなっています。 また、この時期フィリップスの傍系レーベルであるフォンタナへの吹き込みが何度かありましたが、これは、盟友であるボリス・ヴィアンが当時フォンタナのA&Rディレクターを務めており、レギュラー・リリースから外れる、極めて特殊でありながら重要な作品を制作しています。 |
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1955:
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No.1 Pot-pourri | |||
| No.2 Presente et chante | ||||
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1956:
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No.3 chante pour les enfants | |||
| Original Rock and Roll Boys | ||||
| Salvador Plays the blues | ||||
| Henri Salvador s'amuse | ||||
| Bonjour sourire | ||||
| calypso | ||||
| Qh'ech que ch'est qu'cha? (#7) | ||||
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1957:
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chante pour les amoureux | |||
| chante pour les fetes | ||||
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1958年、アンリはボリスとともにバークレイに移籍します。レーベル・オーナーのエディ・バークレイは本来はミュージシャンであり、またフランスで(現在でも)最も権威のあるジャズ雑誌"JAZZ magazine"の主宰者でもあり、フランスジャズ界の顔役として活躍していました。実際、アメリカのジャズ・ミュージシャンのフランスでの窓口であり、かつてはブロッサム・ディアリーが滞在中、エディの声がけによりル・ブルー・スターズを結成したり、留学したクィンシー・ジョーンズをサポートしたりと、アメリカとフランスのジャズの交流にも尽力をしました。 そのような彼がオーナーを努めるレーベルで、アンリの音楽はよりいっそう洗練され、なおかつラテン系の曲に於いては本格的なサウンドの追求がなされたのです。 また、ボリス・ヴィアンのペンによる詞も数多く残され、まさに黄金期ともいえる珠玉のレコードが多く制作されました。残念なことに、1960年のボリスの死によってそのパートナーシップは永遠に絶たれてしまいましたが、その後彼の活動の中心はステージから(TVの)スタジオに移項し、新たな道を拓いて行きます。 |
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1958:
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Mazurkas creoles-Calypsos Marrants | |||
| Vive le charleston | ||||
| dans mon ile | ||||
| Blouse du Dentiste | ||||
| Le Hit parade | ||||
| Le gars de Rochechouart | ||||
| Sarah | ||||
| Une ile au solail | ||||
| Bal de Vienne | ||||
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1959:
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Special | |||
| Gigi | ||||
| De Cannes a Saint-tropez | ||||
| Mon ange gardien | ||||
| Maman | ||||
| Tout doux,tout doucement | ||||
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1960:
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chauffe et fait danser | |||
| Hit parade 1960 | ||||
| Toi mon bel amour | ||||
| Les Papous | ||||
| Faut rigoler/Dracula cha cha cha | ||||
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1961年、アンリは妻のジャクリーヌとともに自分の音楽を管理するための会社"Disque Salvador/Production Salvador"を設立しました。アンリ以外の所属タレントは、"Tiny Yong""Jacky Mouliere""Les Bretel's"といった殆ど無名と言っても良い歌手たちで、自分のレコードを制作する傍ら、彼らに対するサポートも熱心に行っていた様です。 この時代になるとかなりポップスの影響がみられます。それまでのジャズ寄りのアレンジや演奏は少なくなり、ロック・コンボと言っても良いような演奏者たちがサポートを行います。 アメリカのポピュラー・ヒットのカバーが増え、いかにもTV向けな楽曲が増え、ヒットの増産とは裏腹に試行錯誤の影がちらつきはじめるようにも見えます。 "Disque Salvador"はフィリップス傘下のレ−ベルとしての扱いのため、ディストリビューションに関しては、それほど苦労は少なかったようです。 しかし、最初の契約がどのようなものであったのか、フィリップス側による中間搾取はかなりのものであったようです。帳面を預かっていたジャクリーヌ夫人は、それがもとでフィリップスに盃を返す形となり、以降は自分達によるマネージメントを始めるのです。 |
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1961:
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Classic Rock | |||
| Pic'nic | ||||
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1962:
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Boua-nina/Papa Liszt twist. | |||
| Le lion est mort ce soir/Twist S.N.C.F. | ||||
| Sherry | ||||
| Bossa Nova pour les tout petits | ||||
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1963:
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Retour au porteur | |||
| Mr.Boum-boum | ||||
| Le Martien | ||||
| Annie/Tout ca c'est pas grave | ||||
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1964年、アンリとジャクリーヌはいよいよインディペンデント・レーベルをスタートさせます。Disque Salvadorはフィリップスの傍系レーベルだったため、ディストリビューションはフィリップスの営業に依っていましたが、新たに設立したRigoloは短期(あるいは単発)での販売契約を様々なレコード会社とおこなっており、その時に応じてディストリビュータが変わります。このため、CD化に際しては権利関係が複雑になっており、この時期の音源の復刻がクリ−ンな形で行われないという問題があるようです。(現在は、多くの音源をヴァージン・フランスが所有しているようですが、それでも「穴」は空いているようです。) 「リゴロ」(滑稽、オモシロ)というレーベル名が表わすように、コミカルな歌が大半を占めています。が、それぞれのEPに1〜2曲挟み込まれるバラードの美しさは、際立ったものがあります。 リゴロは1970年以来EPの制作はストップし、その後はシングル主体の制作になりました。1972年以降はアンリとジャクリーヌがP.A.M.Salvadorという配給会社を設立し、完全な自立体制になりますが、経済的な影響か時代的なものなのか、音づくりも非常にチープになっていきます。 1976年妻のジャクリーヌが逝去し、自給体制はそこで終わります。77年にRCAと契約し、リゴロのマークはかろうじて生き残ったわけですが、80年以降のAZ時代からはとうとうRigoloのロゴは消滅しました。 |
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1964:
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Zorro est arrive | |||
| 007/Ma pipe | ||||
| Cleopatre | ||||
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1965:
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Le chien et la souris | |||
| La danse de Zorba | ||||
| Le travaille c'est la sant | ||||
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1966:
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Veunise... | |||
| Juanita Banana | ||||
| Quand faut y aller,faut y aller | ||||
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1967:
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Attila est La | |||
| Pikabou | ||||
| Patron | ||||
| Henin-Lietard | ||||
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1968:
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ballade pour Bonnie and Clyde | |||
| Elle est toujours derriere | ||||
| Copain Henri | ||||
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1969:
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Salves d'or succes | |||
| Adam | ||||
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1970:
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Salvador 70-Le zizi des zombies | |||
| C'est a qui tous ca | ||||
| このセクションは資料の整理が出来次第公開いたします。 | ||||
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| このセクションは資料の整理が出来次第公開いたします。 | ||||